店舗でのこだわりのカット。京都の焼肉界を引っ張る男の素敵な笑顔です。
皆さん、こんにちは。
『肉屋の台所 京都木屋町ミート』PR担当です。
京都は 木屋町・河原町エリアに居を構える当店。
「黒毛和牛焼肉食べ放題」を一番の売りに、お客様の「おいしかったよ」の
お声をいただけるよう、日々心をこめたサービスに努めています。
このブログではメニューやコースなどをご紹介しておりますが、
そもそも日本の「食肉」って、いつから始まったのか…。
「クールジャパン」などの言葉も生まれ、日本の文化が世界から注目されている今。
日本でも有数の「日本らしさ」をかもし出す地域の焼肉屋として、
今回、改めて「日本の食肉」を振り返ってみたいと思います!
・食肉文化が浸透してきたのは明治から
以前の日本は、基本的には牛肉を食べない国でした。
仏教が盛んだったこともあり、「動物を殺生して肉を食うことはいけないこと」だとされていたのです。
中には「どうして肉を食べることがいけないことなのか」を研究する人もいたようで、
「牛を食べると農耕に影響する」、「牛が良いなら鹿も良い、そのほかも良いとなる」などの理由を挙げていたとのこと。
人によっては、信心深さよりも生活に根付いた考えのもと、あえて肉を食さなかったことがわかります。
とはいえ全く食していなかったわけではなく、
体の調子が悪い時には「薬」として口にすることもありました。
古くから、肉は「スタミナ食」とされてきたのですね。
その他にも、ウサギを鳥として扱い食べるなど(鳥は食べても良かった)、
隠れて食べていた人は少なくないようです。
そのときから、ウサギを数える単位は「羽」になったり、
馬肉を「さくら」などと呼ぶ隠語が生まれ、今も使われているのです。
似た話では、アメリカの禁酒法時代、
ブランデーの瓶を哺乳瓶の形にし、「これはミルクです。」と
ごまかしたという話も…。(真偽は不明ですが、実際に哺乳瓶の形のブランデーはあります。)
人間の三大欲求のひとつ、食欲。
「おいしいものが食べたい」と思うからこそ、どうにかして口にしたいと
嗜好錯誤した様子が伺えて、実に感慨深いものです。
明治になると「すき焼き」が登場し、徐々に食肉が広まっていきます。
ただ、当時の牛肉は今ほどしっかりとした処理がされていなかったようで、
「くさい」という意見も多かった様子…。
とはいえ、諸外国の新たな影響の中で口にした牛肉はまさに「文明開化の味」だったのでしょうね。
その後、世界の食文化や時代の流れなどを受けながら、徐々に深まっていった日本の食肉文化。
次の項では現代の食肉(牛肉)について書いてまいります。
・日本人の力の源は魚から肉へ
戦後間もないころ、牛肉はまだまだ庶民の手に入りづらいものでした。
主なタンパク源はそれまでと変わらず、魚だったのです。
しかし、高度経済成長などを経ていくうちに、だんだんと変化が現れていきます。
アメリカの支給品だったランチョンミート(今で言うスパムのようなもの)や
魚肉ソーセージなどが普及し始め、昭和63年には主なタンパク源として肉が魚を抜いたのです。
今では誰しも気軽にお肉を味わえるようになりました。
その中で牛の飼料や育て方も研究されていき、
今では三大和牛(松阪牛・神戸牛・近江牛または米沢牛)などの
“ブランド牛”として世界に発信するまでに。
この三大和牛には海外の有名人のファンも多く、
ハリウッドの映画監督などもその味を絶賛していたり、
プロバスケットボールの選手の名前が「神戸牛(KOBE-BEEF)」から
つけられたものだったりなど、多くの逸話もあるのです。
肉と言えば赤身がメインである欧米人でさえ舌を唸らせるほどの霜降肉の旨み。
日本人ならではの地道な努力の賜物であるといっても過言ではないでしょう。
「クールジャパン」の根本は、その精神にあるのかもしれませんね。
・終わりに
世界に誇るブランド牛を持つ日本。
当店でも、職人の目で厳選したこだわりの黒毛和牛をご提供しています。
店長の気まぐれで、時々ブランド牛をご提供することも◎
また現在、8月31日までの夏限定「39キャンペーン」を実施中。
通常\5,480の黒毛和牛焼肉食べ放題コースを、大特価\3,939でご提供しております!
嬉しい飲み放題も付いたこちらのコース、この機会にぜひ、味わってみてくださいね。
日本の皆さんにも、日本を訪れる皆さんにも、「おいしかったよ」のお声をいただけるよう。
『肉屋の台所 京都木屋町ミート』スタッフ一同、心をこめておもてなし致します。
それでは、次回更新でお会いしましょう。
【肉屋の台所 京都木屋町ミート】
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